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犯罪被害による悲哀を乗り越えるために =公平さの視点から= 心理学的視点からは、 犯罪被害に遭うことは対象喪失の一つとして捉えることができるそうで 対象喪失とは、「内的外的を問わず愛着や依存する対象を何らかの理由で失うこと」 対象喪失から悲哀の過程を段階的変化でみると1)ショックを受けて感覚が麻痺している段階、 2)怒りを含んだ攻撃的な心理状態の段階、 3)抑うつ的で空虚感に支配される段階、 4)回復の段階
1)は「喪失の事実を受容する」こと。 2)は「悲嘆の苦痛を乗り越える」こと 3)は「対象がいない環境に適応する」 4)の回復段階は、「死者を情緒的に再配置する」 4段階のプロセスがあるみたいで この「悲哀のプロセスを達成」できないと心身の病や心に狂いもやもやが生じるらしい
何年かかって「回復」するのかは、人それぞれ。 1)~3)の間を、行ったり来たりし続ける人も多い。
悪事の是正に関わる公平さ(応報的公平) 決定が下されるまでの道程に関する公平(手続き的公平)
「対人的繊細さ」の欠如になる。 「対人的繊細さ」とは、丁寧で尊重ある取り扱いの程度 これに欠ける態度は、被害者遺族の怒りを喚起。逆に、対人的繊細さが感じられる応対を受けると、遺族は勇気づけられるそう
これが一番難しい・・・・・特に交通事犯は。死人に口なしと『正確性のルール』に欠けたり
情報が正しいものでなければ、 正しい判決は下せないんだからと思うことがあれば裁判にも納得できないってなる
犯罪被害者にとって 対人的繊細さ(丁寧で尊重ある取り扱いの程度)、正確性、発言、刑罰(結果)の適正・・・ この公正さが重要な意味を持っているとすれば、私はどれも公平に手続きが踏まれていない それでも美紗の事件当時にあった感覚のマヒ、無感覚の過程は乗り越えたと思う。真相解明に動き出したときから、少しずつ。
怒りの段階は、ピークは超えてている。あくまでもピーク。心の奥底には、加害者への怒りや殺意ある。 『死者を自分が生きる道の導き手として再配置し、 心の中に生かしつつ、ともに生きようとする態度』 『公正さを欠く取り扱いを受けて喚起された怒りや不信感は、不公正な制度が温存される社会への怒りとなり、 そうした社会的不公正を是正していこうとする意識が社会に向けて発信していく生き方になることもある。』 これは調書開示活動なのか 交通死ゼロ活動だと思われる訳なのです
否認⇔怒り⇔回想と抑うつのサイクルを くるくる回って、時々受容・・・? 1つ絶対言えることは「悲しみからの解放はない」事。 |